理事長挨拶
子どもたちはたくさんの可能性を秘めています。
その可能性と能力はほんとうに素晴らしいものです。
それを引き出し、将来、世のため、人のために役立てるような…
そんな立派な人になってほしいのです。
そのために必要な『心の力・学ぶ力・体の力』をこの変わらない世の中でつけさせるために考え出した学育です。
子育てに悩むのではなく、親子一緒になって学び、育っていただきたい…
それが私たちの願いです。
理事長 横峯吉文
高校卒業後、国分陸上自衛隊に入隊。結婚を期に自衛隊を辞め、20代前半で、田舎で小さなスーパーを経営する。悪戦苦闘の中、隣町に大型スーパーなどができ、売上も伸び悩んだ。
若者を集め、未来のための勉強会をはじめる。その中で偶然、保育園の経営者と出会う。話を聞いてみると自分の天職だと思った。そこが人生の分岐点になる。
すぐ行動に移し、市役所に「保育園を作りたい」と相談に行ったが相手にされなかった。その当時、公立の保育園か私立の保育園といえば、お寺の住職が経営している時代であった。
それでも諦めない理事長の話を後に有明町の町長になる重役の方が親身になって聞いてくれた。「横峯君これからは民間の時代だよ。頑張ってね。」と応援してくれました。
それからすぐに保育園を作る許可がおり、田舎のスーパーを手放し、社会福祉法人純真福祉会 通山保育園が誕生しました。
理事長はスーパーの経営はしたことがあるが保育園は運営は素人でしたので、経験豊富な保育士に運営を頼み、保育園の世界を見ていくことになりました。
保育園を運営していく中で、当たり前の保育習慣がおかしいとも感じてきました。その反面、子供たちの素晴らしい可能性も感じた理事長は、この頃からどうしたら全ての子どもたちが天から与えられた命「天命」を持ち開花することができるのか?世のため人のために役立ちことが喜びと感じる自立した大人になるのか?
思うようになりました。
運営は順調に進みましたが自分の思う教育を実現するために、近くに無認可の「太陽の子幼稚舎」を創設しました。
朝早くから庭掃除や送迎もこなし、夢中になって幼児教育に取り組んできました。
その実績もあり、数年後に志布志市から委託の依頼があり、「伊崎田こども園」の運営を頼まれました。
反対運動があったものの運営が始まると一気に人気園となり、子どもたちや地域の方から大変喜ばれました。
その数年後、たちばな子ども園も市から民間委託を頼まれました。立地は山の中にあり、園児は数人しかいない地域でしたが理事長の独自の教育法と運営でたくさんの方に喜ばれる人気園となりました。
その独自の教育と理事長のキャラがTVで取りあがられ「ヨコミネ式」が誕生し、一気に知名度が広がりました。
その独自の教育法は、体操では、跳び箱13段を飛んだり、卒園までに園児全員が逆立ちで歩いたりします。
2歳で拾い読みが始まり、5歳児で高学年の教科書が読みます。
計算の時間には算盤を学び、超難関の1級を合格する者も次々出てきました。
音楽ではピアニカを弾き、合奏では、「高校の吹奏楽部か」と関係者がびっくりするような演奏をします。中にはその演奏に感動して涙する見学者もいました。
その他にもたちばなこども園の川の近くに『山学校演習場」を開設
カヌー体験をしたり、川の生き物を捕まえたり、BBQなどが楽しめる施設を手作りで作りました。
法人だけが使うのは勿体無いので団体や地域に使用を開放しています。
理事長の考案するユニークな「ヨコミネ式」は全国的に話題となり、カリキュラムとして採用する保育園、幼稚園が急増しました。今では全国に300箇所以上の施設が導入しています。
全国の導入した園も毎年のように「ヨコミネ式」を学ぶために3園を見学に訪れます。そのため志布志にも何らかの経済効果が反映していると思います。
この教育法は海外のモンゴルでも採用され、たくさんの子どもたちがこの教育を受けています。
理事長のユニークな教育法とキャラは、導入園や企業に呼ばれ、講演会も行っています。講演終了後、質問コーナーでは、子育て中の保護者がたくさん質問されます。どんな質問も明快に答えます。これまで講演活動も千回以上行ってきています。
沿革
昭和55年2月
社会福祉法人純真福祉会設立準備委員会を設立する
昭和56年3月
厚生大臣の認可を受け社会福祉法人純真福祉会を設立する。
昭和56年4月
鹿児島県知事の認可を受け通山保育園を開設する
平成9年4月
有明町より委託を受け子育て支援センター事業を開始する
平成10年4月
有明町より委託を受け伊崎田保育所を運営する
平成10年4月
放課後健全育成事業通山児童クラブを開設する。
平成11年4月
伊崎田保育所内で伊崎田児童クラブを開設する
平成11年4月
給食業務委託 太陽の子給食センターに委託開始
平成12年4月
児童厚生施設太陽の子児童館設置経営
平成16年4月
志布志町より移管受託たちばな保育園を運営する。
平成19年4月
志布志市より移管を受け、伊崎田保育園として運営する
平成20年4月
たちばな保育園内でたちばな児童クラブを開設する
平成20年4月
たちばな保育園の新園舎が完成
平成25年7月
スマイル児童クラブ開設する
平成31年4月
通山保育園が幼保連携型認定こども園の通山こども園として運営する
たちばな保育園が保育所型認定こども園のたちばなこども園として運営する
令和2年4月
伊崎田保育園が保育所型認定こども園の伊崎田こども園として運営する
令和5年4月
青堀保育園 開園
ヨコミネ式の誕生
(1)ヨコミネ式の誕生
横峯 吉文は曽於郡志布志町(現在の志布志市志布志町)において横峯吉盛とハツエの二男として生まれ高校卒業後、陸上自衛隊に入隊隊した。
婚姻後は実家であったスーパーマーケットの経営を引き継ぎ、その傍ら、自ら中心となって立ち上げた青年会議所の役員として地方経済の活性化に努めるとともに、全国を巡って見聞を広めた。
その中で、社会構造の急激な変化をいち早く感じ取り、小規模小売店の将来性の厳しさを痛感すると共に、今後長きに渡って妻子を養っていくため、保育所の開設を思い立ち昭和56年通山保育園を設立した。
横峯は、当初は経験豊かな保育士らに現場を任せていたものの、子どもの将来に目を向けず、子守りに徹する保育の様子を目の当たりにし、危機感を覚えた。
横峯は、幼児教育の知識も経験もない中、自ら園児を率いて野山を駆け巡って子どもの様子を観察し、ひたすら子どもから学び続けた。
そして、全ての子どもが生まれながらにして天才的な能力、そして「天命」を持っており、子どもが楽しいと感じることをさせながら子ども自身の力で学ばせることで子どもが本来の力を発揮し、成長できることに気づいた。
横峯はこの経験をもとに、薩摩の郷中教育の理念を取り入れ、子どもを自立させるための独自の教育法を編み出し、実践していった。
横峯が実践したこの教育法は、現在では「ヨコミネ式」と呼ばれ、日本全国の370箇所を超える教育現場で実践されている。
(2)ヨコミネ式の基盤確立と発展
横峯は、通山保育園の他に平成10年に伊崎田保育園、平成16年にたちばな保育園の運営をはじめ、これら3園は現在も互いに競い合いながら切磋琢磨を続け、全国のヨコミネ式保育園の中心的存在となっている。
平成17年に雑誌「致知」にヨコミネ式が取り上げられたことが契機となってヨコミネ式が様々なメディアで取り上げられるようになり、全国的に話題を呼んだ。
横峯は、AZ.C有限会社(現在のヨコミネ株式会社)を設立して、子育てに悩む保護者や、少子化の中で今後の運営を模索する保育園経営者らから殺到する問い合わせに対応しつつ、ヨコミネ式のノウハウを遍く提供できる仕組み作りを進めた。
その後、ゴールデンタイムの人気テレビ番組「エチカの鏡」でヨコミネ式が全国放送されてヨコミネ式の知名度が更に大きく向上し、30名を超える保護者が子どもにヨコミネ式の教育を受けさせるために志布志市に移住するに至った。
ヨコミネ式は、障害児と呼ばれる子や教育を受けにくい環境にある子を含め、全ての子どもに才能を見出す教育法であり、いわゆる英才教育とは一線を画するものであった。
ヨコミネ式の発展の中では、業務提供先の会社が高額なロイヤリティを撤収していたり、ヨコミネ式の乗っ取りを目論む者が現れたりするなどの問題も発生したが、横峯は、それらの諸問題を乗り越えつつ、初志貫徹して園児の観察を続け、体操のノウハウの改良、2歳児からの本格的なヨコミネ式の実践、これからの時代を見据えた英語教育の充実など、ヨコミネ式のノウハウを日々進化させた。
平成30年には東京にヨコミネ式キッズアカデミーを設立して、都市型保育施設でのヨコミネ式の実践を進めた。
これらの実績のもと、ヨコミネ式の導入園は日本国内のみならず、カンボジア、モンゴル、ロシアなど世界へと広がっていった。
(3)これからの展望
現在、ヨコミネ式は日本全国で広く浸透し、ヨコミネ式で育つ多くの子どもたちがやる気と好奇心に目を輝かせながら夢に向かって成長し続けている。
横峯の更なる夢は世界中にヨコミネ式を広め、日本の子どもたちだけではなく世界中の子どもたちが自ら学び自ら育つ環境を得て、天から与えられた才能を開花させていくことである。
ヨコミネ式は今も全世界、そして未来へと向けて進化と発展を続けている。